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リビング・ウィル1 [リビング・ウィル]


今年に入ってから、長々と書き連ねた「ヒマラヤの聖者とともに」は昨日で終了しました。

著者が出会った多くの聖者のついて話も面白かったのですが、そういう話ではなく、空外先生の書かれていたこと、仏教医学との共通点や参考になる部分をピックアップしたつもりでした。

最後の38~42は「死について」でしたが、「死後」をどうとらえるのかということは、古来より洋の東西を問わず多くの賢者や聖者が様々な考えを残しています。
それらが事実なのか、それとも妄想なのかは、実際に自分が死んでからでないとわかりません。

死後のことは死んでからの楽しみとして、生きているときに死を考えることについて。

『元気な時に死について深く考える』

これが大切だと思っています。死の間際になって自らの死を考えることはとても難しい。

死を忌むという心理は否定できないのですが、すべての人は必ず死は訪れます。
これは真理ともいえる事実です。

すべての人が間違いなく体験する死が遠いものになったのか?
その理由のひとつに、家で死ぬことが無くなってきたことがあると思っています。

ここ数年、身内や友人で亡くなった人で、自宅で亡くなった人は皆無でした。
知り合いに聞いてみても、ほとんどの人が病院で亡くなっています。
理由は日本の医療制度の問題でもありますが、ここでは詳しく書きません。


最近、「ビング・ウィル」いう言葉を知りました。

リビング・ウィルとは英語のliving will。
リビングは「生きている」「現生している」、ウィルは「意思」「遺言」。

リビング・ウィルも元気な時に考えることが大事だと思います。


リビング・ウィル2 [リビング・ウィル]


「ガン放置医療のすすめ」「医者に殺されない47の心得」という本を読みました。

著者は慶応大学病院の「近藤誠先生」

書かれている内容が従来の医療の矛盾や誤りを赤裸々にしたもので、ぜひ購入して読んでもらいたいのですが、「医者に殺されない47の心得」の最後に「リビング・ウィルを書いてみよう」という章がありました。
そこにはこう書かれていました。

「近藤先生はどんなふうに亡くなりたいですか?病院がいいですか?自宅で?」
最近、取材を受けていて、そう聞かれたとき、ちょっとドギマギしました。
実は僕自身も、自分の死に際のことを、そこまで具体的には考えていませんでした。
病院で、大勢の人に見られながら死ぬのは嫌だな。選べるなら自宅の、自分のベッドで静かに逝きたい。
しかしそのとき、看取ってくれる人がいるのか。もしワイフに先立たれていたら。
年を取って、弱って、ひとりぼっちで死んでいくというのも、さびしいものだろうな。
いろいろな思いが頭を通りすぎました。
自宅で人生をしまえる人は、今の日本ではかなり少数派です。


自宅で亡くなる人・・・・・12.4%
病院などの医療施設で亡くなる人・・・・・80.8%
老人ホームや介護老人保護施設で亡くなる人・・・・・4.3%
  (2009 厚労省発表)



リビング・ウィル3 [リビング・ウィル]


昨日の続きです。


電話で通報してから救急車が現場に到着するまでの時間・・・平均約8分
通報から医療機関に収容するまでの時間・・・平均約36分
  (2009 総務省発表)

「そのへんで倒れてもほっとくように。そばにはよるな」。これは、家族にわたしてある僕のリビング・ウィルの要旨。前にも書いたように、「ポックリ死にたい」願望が強いのでそう書いたのですが、外で倒れたら救急病院に連れ込まれてしまいます。
脳出血なら医者は脳を開き血管にクリップをかけて出血をとめ、血のかたまりを除きます。心筋梗塞なら心臓の血管に細い管を入れて、詰まっている血を薬で溶かします。
自力で呼吸できなくなっていれば、気管に管を入れて人工呼吸器につなぎます。
今の日本ではそういった高度な治療の数々を施されて、そう簡単にはポックリ死ねません。
そしてかなりの確率で、半身不随などの重い後遺症を抱えます。
リハビリはしんどいし、チューブや人工呼吸器につながれて逝くなんてまっぴらだ。
寿命に身をゆだねて、自然に逝きたい。
この人間として当たり前の願いを、いまはなかなかかなえてもらえません。



リビング・ウィル4 [リビング・ウィル]

今日も続きです。


どんな延命治療を希望しますか?

リビング・ウィルのことが、最近よく話題になります。自分の死のまぎわにどういう治療を受けたいのかを、判断能力のあるうちに文章にしておくことです。
日本では、リビング・ウィルにはまだ法的な力はありませんが、書いておくことで、意識を失ったあとも、家族や医師に、延命医療についての自分の意志を伝えられます。
「鼻腔チューブ栄養のような、強制的な栄養補給はいっさい不要」「人工呼吸が1週間続いても意識が戻らなかったら装置をはずしてほしい」「植物状態になっても、できるだけ生きたい」など、
自分で説明できなくなったときの「どう死にたいか」の希望を、なるべく具体的に書いて、身内の同意をもらい、毎年更新していきます。

良い機会なので、倒れて病院に連れ込まれたとき用のリビング・ウィルを書いてみました。家人や知人がわかるところに保管します。あなたも、書いてみませんか?


・・・


近藤誠のリビング・ウィル

いっさいの延命治療はしないでください。

私は今日まで、自由に生きてきました。
64歳まで、好きなことに打ち込んで、幸せな人生でした。
そして、自分らしく人生を終えたいと思っています。
今、私は意識を失っているか、呼びかけに少し反応するだけだと思います。
すでに自力で、呼吸もほとんどできないかもしれません。
このまま命が尽きても、何も思い残すことはありません。
だから、決して救急車を呼ばないでください。
すでに病院にいるなら、人工呼吸器をつけないでください。つけられているなら、はずしてください。
自力で飲んだり食べたりできないなら、無理に、口に入れないでください。
点滴も、チューブ栄養も、昇圧剤、輸血、人工透析なども含め、延命のための治療は何もしないでください。すでに行われているなら、すべてやめてください。
もし私が苦痛を感じているようなら、モルヒネなどの、痛みをやわらげるケアは、ありがたくお受けします。
今、私の命を延ばそうと力を尽くしてくださっている方に、心から感謝します。
しかし、恐れ入りますが、私の願いを聞いてください。
私はこの文章を、冷静な意識のもとに書き、家族の了解を得ています。
いっさいの延命治療をしないでほしい。
この最期の願いを、どうぞかなえてください。
決して後悔しないことを、ここに誓います。



リビング・ウィル5 [リビング・ウィル]


昨日のリビング・ウィルは、近藤誠先生の「医者に殺されない47の心得」からの引用でしたが、
調べてみると、リビング・ウィルの例文は他にもいくつか紹介されていました。


「みどり相続相談室」より
http://www.ai-souzoku.jp/livingwill.html


尊厳死宣言書の例(私製・日本尊厳死協会の書式例)                 
尊厳死の宣言書(リビング・ウィル)

 私は、私の病気が不治であり、かつ死期が迫っている場合に備えて、私の家 族、縁者ならびに私の治療に携わっている方々に次の要望を宣言致します。
 なお、この宣言書は、私の精神が健全な状態にあるときに書いたものです。
 したがって、私の精神が健全な状態にあるときに私自身が破棄するか、又は撤回する旨の文書を作成しない限り有効です。
1 私の病気が、現在の医学では不治の状態であり、既に死期が迫っていると診
  断された場合には、いたずらに死期を引き延ばすための延命措置は一切お断
  り致します。
2 ただし、この場合、私の苦痛を和らげる措置は最大限にして下さい。
  そのため、たとえば、麻薬などの副作用で死期が早まったとしても、一向に
  構いません。
3 私が、数ヶ月以上にわたって、いわゆる植物状態に陥ったときは、一切の生
  命維持措置を取り止めて下さい。

 以上、私の宣言による要望を忠実に果たして下さった方々に深く感謝申し上げるとともに、その方々が私の要望に従って下さった行為の一切の責任は私自身にあることを付記致します。
      平成○○年○○月○○日
                      平成○○年○○月○○日生
                   氏名    甲野 太郎    印
                   住所 名古屋市○区△△1丁目2番3号




「リビング・ウィルとは」より
http://square.umin.ac.jp/~liv-will/

例文1

終末期の医療・ケアについての意思表明書
(リビング・ウィル)

私が、高齢となり意識を失うような状態におちいったり、あるいは、たとえ呼びかけには応じても 意識は朦朧としている状態になったり、あるいは、意識はあっても自分の意思を伝えることができない状態となり、自分で身の回りのことができなくなり、自分で飲むことも食べることもできなくなったときには、以下のようにしてください。

私が自分の力では水も飲めず、食べ物も食べられなくなったら、無理に飲ませたり、食べさせたり、点滴や栄養補給をしないでください。

ましてや、鼻管を入れたり、胃瘻を作ったりは、絶対しないでください。

私が自分の力で呼吸ができなくなっても、人工呼吸器をつけないでください。

万一、人工呼吸器がつけられている場合でも、一旦、電源を切っていただき、私の自発呼吸が戻らなかったら、人工呼吸器を取り外してください。

少々意識があっても、場所や日時をはっきり言うことができなければ、同じように扱ってください。

そうなったら、昇圧薬も輸血も人工透析も血漿交換などもやめてください。

私の苦しくみえる状態を緩和していただける治療をしてくださるなら、喜んでお受けします。

ただし、昇圧薬や脳圧低下薬などの延命のための治療はやめてください。

私の命を長らえるために努力をしてくださっている、お医者さん、看護師さんや医療・介護スタッフの方達には、心から感謝しています。努力してくださっている方達には、たいへん申し訳ありませんが、どうか、私の意思を尊重してください。

私はこの終末期の医療・ケアについての私の意思表明書を、意識も清明で、書いている内容を十分理解している状態で書いています。どうか、私の意思を尊重してください。

平成 年 月 日

 住所

       本人署名(自筆)          (   歳)〔印〕

       家族署名(自筆)          (   歳)

以上の意思表明書に変わりはないことを認めます。

平成  年 月 日 本人署名(自筆)         (   歳)〔印〕

平成  年 月 日 本人署名(自筆)         (   歳)〔印〕

平成  年 月 日 本人署名(自筆)         (   歳)〔印〕

平成  年 月 日 本人署名(自筆)         (   歳)〔印〕

平成  年 月 日 本人署名(自筆)         (   歳)〔印〕




リビング・ウィル6 [リビング・ウィル]


リビング・ウィルとは、自分はどのように死にたいかを元気な時に自分自身で決めておく。
ということなのですが、そこには自己の尊厳を守りたいという思いがあります。

なぜ、自己の尊厳を守るためにリビング・ウィルを書いておく必要があるのか?

それはいまの医療制度が人間の尊厳を守る制度になっていないからだと思います。

自らはこう生き、こう死にたいと願っても、病院はその個人の意思に関係なく、国の定めた医療を施そうとします。いまの医療には人間の尊厳についてはまったく考慮されていません。

「医は仁術なり」とは貝原益軒の養生訓のなかに見られる言葉ですが、今の医療は仁術ではなく算術に重きを置いています。
算術だけならまだしも、今の医療は病気を作って、その病気を治すふりをして延々と利益を吸い取ろうとしているとしか思えない事例が多々あります。

最近、それらの医療制度に対して、その間違いを糾弾している著書が多数見られるようになったのは、とても良い流れだと思っています。そのなかでも、「近藤誠先生」の著書は医師の視点から日本の医療がいかに間違っているかを正し、患者側の意識に対しても問題提起しています。

国の医療制度の誤り、そこに寄生する製薬業界の誤りは酷いものがありますが、自分自身を含め、
患者側の意識の低さにも今の医療制度を助長している要因があると思います。

患者側の意識の変革の第一歩として、
「元気な時に死について真剣に考える」
「リビング・ウィルを書いておく」

ここから始めようと思います。



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