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「無二的人間」 山本空外著117 [無二的人間]

P183より続き
観念的、対照的でなく、ズバリ自己本来の面目が生動しなければならない。
教育とは、その意味で自己教育が本来なので、教えても教えられても、自己が内面的に深まっていかなければ、外界の何を見ても外形しか見えないし、わかりもしない。
その内面的主眼のところが、宗教といえるものなのである。
それで「七仏通戒偈」の主眼にしても、「自己の心を浄めること」といわれる。
自己の心が浄まりさえすれば、「卑湿の淤泥(おでい)にはすなわちこの華を生ずるがごとし」といわれるとおりなのである。
ただの世間なみの心で見たのでは、世間はまったく淤泥のような外見に終るしかない。



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コメント 1

NO NAME

ふかいですね~~~
by NO NAME (2012-12-05 21:40) 

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