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「無二的人間」 山本空外著5 [無二的人間]

説明すると、少し難解と思われるかもしれないが、じつは人生の本義はそれしかないであろう。したがって説くだけでなしに、自身行ずるのほかにないので、そこを『般若波羅蜜多心経』でも「行を行ずる」(梵本)といっているし、念仏でも「行を行ずるもの、是れを正行と名づく」(唐善導『観経疏』散善義)という。
宗教も倫理もこれが重要であろう。釈尊にしても、自身でさとられて、その生活の光が周囲を照らしたにほかならない。われわれは各自なりにそれができないことはなかろう。
ただそう述べただけでは、はっきりしないので、人間が動物一般と類似のところは多くても、すでに平安時代後期以来、いろは歌四十七字に「ん」を加えて四十八字を習字手本とし来ったような伝統こそは、まさに人間が動物生活の延長線上において右往左往するのみの過去を清算して、人間が人間になる、したがって自己が自己になる「行を行ずる」原点として生かされうる。それでわたくしは無二的書道・無二的人間形成を提唱すること久しい。提唱にとどまらず、その生活に徹してきたかは、本書が裏づけている。



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