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空外先生外伝 <凡人の限界> [空外先生外伝]


寺子屋メモも108回になりました。
2008年からメモしていたものを、それなりに調べてまとめたもので、今は2010年の6月分まで。メモはまだまだあり、いまも溜まりつづけているのですが、しばらくさしおいて、別のものをアップしようと思います。

このブログは自分自身の勉強のためのものを、いろんな人たちと共有できれば楽しいと思って始めました。そんななかでも、山本空外上人の存在というのはとても大きなものだと感じています。
以前、空外上人の「いのちの賛歌」の感銘を受けたことばを書き起こしたのですが、そのなかで最初にアップした


「いのちの賛歌」山本空外講義録2
P25より
「悪」とはなにかということは、まだ哲学者で説明し尽くした人はいない。
「善」とはなにかということもまだ完全には説いていない。わたくしは哲学が専門の学者ですから、何十年も研究しているのですが、正面から善とは何か、悪とは何かということを説明できた人はいない。
しかし、わかりやすくいえば、悪というのは自分勝手をするのはよくないということです。


この一文には深い衝撃を受けました。「自分勝手が悪」だと、空外先生は言われています。
当たり前といえば当たり前すぎる言葉ですが、自分勝手ということを考えていくと、これがまた難しいものだと気づき始め、今もまだよくわかりません。。

空外先生の著書は少なく、空外先生について書かれている方も少ない中、
「続 不信へのお誘い  巨榧山人著」という著書が手元にあります。
すでに絶版となっているこの著書のなかに、「空外先生外伝 <凡人の限界>」という物語があります。空外先生のお人柄、関わりのあった人々のことが書かれていて、とても興味深く面白い物語です。
明日からしばらく、この物語をアップしようと思います。

空外先生外伝 <凡人の限界>2 [空外先生外伝]


続 不信へのお誘い  巨榧山人著  
1989年3月17日 初版


空外先生外伝 <凡人の限界>

登場人物年譜
空外先生   明治35年~御健在
湯川秀樹   明治40年~昭和56年
小林秀雄   明治35年~昭和58年
魯山人     明治16年~昭和34年
柳宗悦     明治22年~昭和36年
井上三鋼   明治32年~昭和56年
加藤唐九郎  明治31年~昭和62年
荒川豊蔵   明治27年~昭和60年
中里無庵   明治28年~昭和60年

フッサール     1859~1938
ベルグソン     1859~1941
ピカソ        1881~1973
ハルトマン     1882~1950
ヤスパース    1883~1969
ジルソン      1884~1978
ハイデッカー    1889~1976
オッペンハイマー 1904~1967
サルトル      1905~1980



中曽根首相は、いつになく当惑しきっていた。彼にとって最高絶対の客人、レーガン大統領の来日を控え、思わぬ難問を抱えこんだのである。国賓の場合は、分秒刻みの行動予定が計画され、細部にわたって検討されるのは当然だが、それ以外に、かの国からの、畏きあたりをはじめとして政財界要人への土産品目録が予め連絡され、こちらからのお返しも先方の要望を打診するのが通例であった。首相が困惑したのは、大統領の要望の中に、「空外の作品を所望」とあったからである。



空外先生外伝 <凡人の限界>3 [空外先生外伝]


「空外? さあ知らんね」
先方の重要文書のスペルに間違いなどあるはずがない。専門担当官の的確無比な訳文である。
「空外? 知りませんねぇ 空海の間違いじゃないでしょうか」
「空海? 弘法大師かい。君、空海の書なんて国宝級か、でなければ密教寺院の本尊だよ」
「でしょうねぇ。国宝海外流出などと下手に騒がれても困りますし」
「いや、レーガンさんて常識ある方だ。空海の書など要望されるわけがない」

側近は問うに知らず、昵懇の学者芸術家に問うに知らず、在野に問うに知らず、彼を含めてこの種の件では最も無縁であろうと考えていた閣僚に、彼はさしたる期待もなく訊ねてみた。

「空外? ああ知っていますよ。空外先生のことです」
ずばり答えたのは、意外にもその日、官邸を訪れた竹下蔵相であった。
「ほう、あんた知っているのかね。空外っていつごろの時代の人かね」
「いつごろのって・・・・・・いやですよ総理。矍鑠としてますよ。現に私は、つい先ごろ、お目通りの機会を得たのですから」
「お目通り? そりゃたいへんな人物だ。学者?それとも芸術家・・・・」
「さぁ、芸術家といってよいかどうか・・・・」
「だろうな。実は自分もね、自分なりに芸術年鑑だの芸術大観だのを克明に調べさせたんだが、名前など載っとらんと言うのだ」
「そりゃダメですよ。あんな本にゃ、せいぜい一流までの人しか出ていませんから」
「空外先生というのは一流じゃないのかね」
「なんと言ったらいいのでしょうか。まあ、総理は政界第一級の人物ですが、そのためには、その、お墨つきが必要ですから」
「ふむ。空外ってのは、その名の通り、雲の上のお人かねぇ」



空外先生外伝 <凡人の限界>4 [空外先生外伝]

 
 首相は気が重かった。問題はさしたることではないが、海外の要人が熟知している人物を、当事国の宰相が知らないというのが憂鬱だった。早くから首相公選論を提唱し、時には風見鶏のニックネームをたてまつられた彼だが、裏を返せば庶民感覚に溢れ、芸術文化万般にわたって広汎な見識を持っているとも考えられるし、彼自身もそれを自負していたからである。

 学者や芸術家の場合、テレビや新聞などマスコミに顔を出す人物は二流だ、ということは耳にしていたが、新聞を毎日すみずみまでチェックするのを日課としていた首相が、ついぞ空外という名にお目にかからなかったのは、マスコミ二流論を裏づけるものだった。
「でも総理。私はそのへんの事情には、総理よりはるかにうとい人間です。空外先生を知っていたのは、ほんとに偶然のことからなんです」
 蔵相は首相の心底を読み取ったかのように、こうつけ加えた。
 有名人と懇意なのを自慢するのは、さびしいことである。よく知っているというだけなら、その家のお手伝いさんや、飼い猫のほうがはるかに昵懇なのだ・・・・蔵相は、そう言いたかったのである。
「よく調べたら、空外先生と私は同県、いや御出身地はまったく違いますが、しばらく居を構えておられたんです。もっとも先生のお名前など、うちの県の連中だってほとんど知りませんがね」
「ほう。超一流の人物たる資格は、大衆の知名度が極端に低いということか。これはいい。暗示的だ。うらやましいねぇ。ぼくら、しがない政治家は、それじゃ通らんからね」
「先生は、とても私どもなど相手にしてくれません。サルトルやハイデッカーなどが先生の友人で、とても親しくされていたようです」
「サルトル? ハイデッカー! 」
 
 さすがに首相は愕然とした。実在哲学にのめりこんだ一時期があるのをふと思い出しながら、空外が容易ならざる人物であることを悟ったのである。近代ドイツ哲学最大の思想家ハイデッカーともなれば、日本国の総理など顔色なしであろうとも考えてみた。
「もっとも・・・・・・」と首相は、ひとりごとのようにつぶやいた。
「なんですか」
「いや。いつの閣僚連中や党の要人の中で、サルトルはともかく、ハイデッカーの名を知っている者は幾人くらいいるだろうか」
「さあ。競馬の馬の名前ぐらいに思っている連中もいるでしょうな」
「ははは、ハイセイコーの親戚すじくらいにな」

 首相は、顔をほころばせながらも、頭の中では別のこと考えていた。日本の文化――その特異性と伝統のみを誇っているにすぎない日本の芸術文化、ひいては日本の教育に、なにかぽっかり空洞があるのではないか。空外を知らなかったのは空洞に気がつかなかったことを暗示しているのではないか。大統領来日の大事を終えたら、一国の総理として、これはじっくり考えねばならないことだ・・・・・中曽根首相は、そう考えはじめていたのだった。


空外先生外伝 <凡人の限界>5 [空外先生外伝]




魯山人は、洛中岡崎の瓢亭で、悪友井上三綱と盃を交わしていた。画家としてのサンコウ井上の名は、むしろ海外で異常な人気があり、渡航の機会も多く、この日もアメリカから帰国したばかりであった。

「あんたもえらくなったもんだね」と井上は魯山人に言った。
「なにがだ」
「そりゃ皮肉か。これでもおれは天下の名だたる井上画伯の名に恥じてはいかんと思ってな。大したもんじゃねえか、アメリカでの評判は」
「なにか知ってるのか」
「地獄耳だ。情報だけはしっかりつかんどる。それだけだもんな、おれの商売は」
「なんぼあんたでもアメリカの話が直通のはずはねえよ」
「ははは、すぐバレるから言うが、実は空外先生からの受け売りだ」
「そのへんだろうと思った。おれはまだ先生に帰国の挨拶をしとらん。ちょこッとあんたに逢うようなわけにはいかんからな」
「先生も心配されてたぞ。それに喜んどった。井上三綱は東洋のピカソだというじゃねえか、あっちの新聞じゃあ」
「ふん。あの連中にゃ、なにもわからんのだよ」
「わかってもわからんでもだ。日本の一画かきがさ、東洋のピカソと言われるなんざぁ最高だ」
「これ、魯山人よォ。あんたもそう思ってるのか」
「いや、おれはいくらなんでも、お前がピカソたぁ」
「ばか!やっぱりあんたもバカだ。おれは毛唐の批判に腹が立って腹が立って。人をバカにするにも程がある」
「え?」
[あんたピカソを知ってるのか。せいぜい二、三枚、複製の画を見ただけだろう。キュービズムかなにか知らんが、大した画家じゃねぇよ。あんたらしくもねぇ]
「らしくもねぇ?」
「そうだよ。世界中の批判家がなんと言おうと、あんたはあんたの批評眼で適確な判断をする人間だ。人がそう思うから俺もそう思うってのは、あんたの一番取らざるところ。それが、あんたの身上じゃねえか」
「ふん、そうかね。東洋のピカソは気に入らん。そうかねぇ」

魯山人は、ふと口をつぐんでしまった。井上という男は、牛などを好んで描いとるが、絵は俺の見たところ第一級だ。だがこいつは、はったりをきかしたり、てめぇの才に驕る人間ではない。ピカソと言われて憤慨したのは、あれは本気だ。考えてみれば俺はピカソを知らない。あいつの指摘した通り、定評を鵜のみにしているだけに過ぎない。弱いところを突きやがる・・・・・。

「負けたよ」と魯山人は言った。
「なんだ、柄にもなく神妙に」
井上は冷えかけたうずらがゆをすすりながら魯山人の顔をのぞきこんだ。
「いや、負けたとは言ったが、今の時点での話で、勝負はこれからだ。いまちょっと痛いところをつかれた、というだけのこと。どっちにしてもこの話は打ち切り。話題を変えようじゃねえか」
「うん」

古都の街に、なつかしい灯がともりはじめた。数奇屋風の部屋に仲居が灯りをつけに顔を見せた時、魯山人は銚子の追加をたのみながら三綱の顔をにらんだ。
だが目だけは笑っていた。彼がなにかを思案した時の顔であった。



空外先生外伝 <凡人の限界>6 [空外先生外伝]


見事な藤棚である。四囲にはい延びている枝ぶり。ほとんど均等の間隔で垂れているふっくらとした花房。それに、なににも増して見事なのは、その広さである。二十坪ほどもあろうか。花見ごろの来訪者は、思わず声を上げる。それほど人の手を加えているわけではないのに、ここに住む人の心をあらわしてか、さりげなく丹精の妙を得ている。たそがれ時の、この藤棚の下に、空外は座り、ひっそり佇んでいた。うす紫の花だけがぼんやり霞んで暮れあぐねているような静かな夕方だった。薬医門をくぐって近づく足音を背中に聞きながら、空外には、それが井上三綱だとわかっていた。バタバタと特徴のある、せせこましい足音である。時めく洋画家に似つかわしくない風貌と挙動を、空外は好もしく思っていた。

三綱が「先生!」と呼びかけるのと「お帰り。ご苦労だったね」と空外が声をかけるのが同時だった。
「帰って一週間目になるかな。船旅の疲れもとれる頃だろう」
「申し訳ありません。すぐにでもおうかがいしなきゃと思っていたんですが・・・
でも、先生、どうして私が帰国したのを・・・・・」
「うん?」
ああ、そうか。魯山人のやつめ、早速おれの帰国を報告に及んだのだな。
「あいつ、先生ンとこへは、ちょくちょくお邪魔するんですね。忙しい忙しいなんて、あっちこっち飛びまわってるくせに」
「いや、そう滅多に来るわけでもないがね」
二人は話しながら母屋のほうへ歩いた。空外は上へは上がらず、内縁に腰かけてほっとすると、直立している三綱にも坐るようにうながした。空外の前では、魯山人も三綱も、あのぶしつけな野人ぶりが全く影をひそめるのである。二人はもともと接点のないジャンルにあったが、空外を介して交流が始まったのだ。
「実は先日、珍しくあいつが奢ってくれるってんで・・・・・・」
「東洋のピカソ議論になったそうだね。」

三綱は、魯山人がやはりこんなふうに先生と内縁に腰かけて、熱っぽく語りかける光景を想像した。先生は、なにげない世間話の中に、ふっと、ものの本質とか原点にふれられる場合がある。それが頂門の一針となる。自分たちが壁にぶつかったり靄の中にはいった時、そこからはい出させてくれるのは先生だけである。とは言っても、まともに先生と対座して、深遠な哲学を講じていただく立場にはない。おれも魯山人も唐九郎も、ちょくちょく顔を出す、あの柳宗悦だって、学者づらはしているがたいしたことはなさそうだ・・・・・・。


空外先生外伝 <凡人の限界>7 [空外先生外伝]


三綱は、意を決したような顔つきで、空外に訊ねてみた。
「あの、先生はどう思われるんですか。あいつにどんな話をされたんですか」
「ピカソのことかね。いや、実のところ、よく判らないんだよ」
「あ、先生も、じゃ、やはり・・・」
三綱は、わが意を得たとばかり、少しせきこんだ。
「いや、わからないというのは、認めていないということじゃないんだ。表面的な美を表現するという点では、たしかに彼は世界的、うん、第一級の画家であることは認めてもいいんだか、でも抽象性となると、ちょっとね・・・」
三綱は、自分のと比べて、とまではさすがに言えなかった。魯山人に食ってかかるようなわけにはいかない。
「まぁまぁ。結論は二、三ヶ月先に延ばそうよ」
「二、三ヶ月先?」
「うん、魯山人の意見も聞いてから・・・・・」
「え?あんなヤツの意見を?先生ともあろうお人が・・・。陶芸や書ならともかく」
三綱はすぐムキになる。魯山人とは、いつもつっかけ合いをやるが、不思議と気が合って、かなり仲がいいつもりでいる。それにしても、数ヶ月先とはどういう意味か。
「あいつ、何を考えてやがるのか、明日にでも呼び出して・・・」
「それは無理だね」
空外はこともなげに言った。
「今ごろは飛行機の中だよ」
「ええっ?どこへ?」

空外は、眼鏡の奥のひとなつっこいような目を細めて三綱を見た。彼と魯山人は、年がかけ離れているはずなのに、友情という言葉にふさわしい関係だ。
と空外は、ちょっぴり羨ましい気分と、安堵の気持ちが重なり合っていた。あの男にも、ほんとの親友など、ほかにはいないのではないかと思っていたからである。
「ピカソに逢いに行ったんだよ、彼」
「ピカソ?まさか、うそでしょう」
「ほんとさ。紹介状を書いてあげたんだから。私はピカソとは面識がないが、あちらには友人が多いから、それなりの人をね」
「驚いたなぁ」
「前から欧米視察の機会をねらっていたらしくてね。こっちの陶芸を紹介する態勢が整ったような話をしとったが、でも直接の動機、つまりふんぎりをつけさせたのは三綱君、君だよ」

魯山人は、あの日瓢亭で、三綱とピカソについてのやりとりがあって以来、どうしても本人に逢ってみたいと思っていた。ほんものか、ほんものでないか。
三綱のピカソ論に屈するのか反撃できるのか、とにかく本人に逢ってみなければ話にならぬ。そう考えると彼は、矢も楯もたまらなかったらしい。
「すごい男ですね、先生。ブレーキのきかん男だから。あっちで、どでっかい失敗をやらかさなきゃいいが」
「帰ってくるまでは心配だね」
空外は、柔和な顔をほころばせた。三綱も笑った。二人とも心配などしていない顔であった。


空外先生外伝 <凡人の限界>8 [空外先生外伝]



瓦葺きの侘びた薬医門からの藤棚の下の、踏まれて作られた径へかかろうとした時、柳宗悦は、母屋のほうから歩いてくる背の高い男に出合った。端正な和装姿。絽の十徳を羽織っている。すれ違う時、お互いに、軽く目を避ける程度の会釈をかわした。ほのかな香の匂い。伽羅だ。宗悦は香を聴きわけた己れの力に安堵しながら、これはただ者ではないと振り返った時、相手は門の外に消えていた。たしか、どこかで見かけた気がする。面長の顔。目も鼻も口も、その大きな顔にぴしッと決まっているような好男子であった。若者というには少し年を重ねている。壮年と呼ぶには幼さが残っている。だが、空外の家を一人で訪問すること自体、その人物はただ者ではないことがわかる・・・。

「ごめん下さい。先生いらっしゃいますか。柳宗悦です」
宗悦は、戸の開いている内縁から、中をのぞきこむようにして声をかけた。
奥で衣ずれの音が、かすかに走った。
「あ、奥様。どうもご無沙汰しておりましたて」
「ああ、柳さん。ほんと、ここしばらくお見えになりませんでしたわね。ちょっとお待ちになって」
夫人は奥の、空外の書斎へ消えた。

白い肌。やせぎすな和服姿。気高く﨟たけた、という言葉は、こういう女性のための形容詞だと、宗悦は、空外夫人に逢うたびに思う。
数年前、はじめて空外に念願のお目通りがかなうことがわかった時、柳宗悦は、この謎の哲人のアウトラインをあらかじめ知っておこうと懸命に奔走したことを思い出していた。夫人は大阪外語大学の初代学長中目覚先生の令嬢であること。浮世絵から抜け出たと噂された明眸皓歯の美女と、語学の天才と仇名された青年との取り合わせは、東大哲学科の学生仲間では賞讃と羨望の的であったということ。だが、琴瑟相和の仲とはうらはらに、お二人は子宝に恵まれていないこと。先生は英語はもとより、独語、仏語、ラテン語、ギリシャ語が自在であること。さらにサンスクリットに通じ、仏典はすべて白文で読まれること。そしてフランス語とドイツ語については、夫人も日常会話には全くこと欠かないこと、などなど・・・・・。

また、哲学者としての先生の友人は、ハイデッガー、ヤスパース、フッサール、ジルソン等々で、これらの諸師は先生が若き日、文部省在外研究員として欧州各国の大学を歴訪されたころ知遇を得たものであること・・・・・。
先生の経歴のほんの一部が解明されて行くにつれて、柳宗悦は畏怖を感じはじめていた。しいて共通点を挙げれば自分も同じ東大文学部を出発点としていることだけであった。
だが彼が後に、空外先生の前に恐懼して膝を屈したのは、こんな経歴などではなかった。しかもさらに、柳宗悦は空外より十四歳も年長であったのである。


空外先生外伝 <凡人の限界>9 [空外先生外伝]


「どうかなさいまして」
夫人の声に、宗悦は最近とみに白髪の増えた頭をとんとんたたきながら、
「あ、どうも。先生は?」と少しあわて気味だった。
「ちょっと調べものがあって、でも、すぐ終わるそうです。どうぞお上がりになって」
「はあ」と、その時はじめて宗悦は、家円に、腰かけるような位置においてある座布団に気がついた。
「あ、まだ片付けませんで」
と夫人は座布団を隅に押しやった。あ、忘れてた、さっきの男のこと、と宗悦は思い出して、
「あの、ご来客だったようで。いま、そこでちょっとお逢いしました」
「ああ、なにかお話なさいまして?」
「いえ、存じておりませんもので。でも、どこかでお目にかかったような」
「天下の柳宗悦先生がご存知ないはずありませんわ。もっとも、ある意味では仇敵同志かもしれませんわね」
「仇敵?あの、どなたでしょうか」
「千家の大宗匠でございますよ」
「あ!」
宗悦は息をのんだ。



空外先生外伝 <凡人の限界>10 [空外先生外伝]


なるほど、どこかで見たはずだ。新聞や雑誌のグラビアなどで見かけていたのだ。
「仇敵とは恐れ入りました。私もだいぶ利休を批判しましたからな。でも茶道の興隆には力をいれたつもりでおりますし、これでも出るところへ出ると、茶人で通るんですよ」
「わかっております。冗談でございます」
「で、宗匠の大先生は、この縁に腰かけて・・・」
「ええ。ここで、薄茶を点てて差し上げました。ほんとうに緊張して肩がこりましたわ」
「ははは、茶道の法王にお茶を点てるんじゃ、いくら奥様でも・・・・・・、で、なにか先生に・・・」
「茶碗に主人の書を、というような御依頼だったようでございます」
千家の大宗匠と、天下の茶人空外との対峙。これは図になる。と、宗悦は、わくわくする気持ちだった。
「で、先生は・・・・」
「いえ、それが・・・・、書斎に閉じこもってどうしてもお逢い出来ないからって。私、ほんとに困ってしまいました。いずれ後日とか何とか言いわけをして、お帰りいただいたのです」
「ほう?」
宗悦は拍子ぬけしたような顔。
「なにか先生、ご機嫌がお悪くて・・・・・」
「いえ、そのぅ・・・・・」と、夫人は声をおとして、
「お茶のおわかりにならぬ方とお逢いしても、かえって失礼になってはいかぬ、などと申しまして」
「お茶のわからぬ人? 天下の大宗匠が・・・・・」

と言いかけて宗悦は、はっとした。うん、わかる。先生のお気持ちはよくわかる。その通りかもしれぬ。と、ついさっきまで両者の対峙は図になる、と思っていたことなど、ケロッと忘れてしまっていた。
空外先生は、皮肉でも意地をはっているわけでもない。もちろん批判でも軽蔑でもないのだ。茶の湯の造詣の深さは、自分など先生の足もとにも及ばないことを、宗悦自身よく知っていた。茶道のわからぬ大宗匠・・・・。
これ、宗悦よ、お前は茶人でいっぱしのめききのように思われているらしいが、お前になにが判っているというのだ。宗悦は、夫人を介して空外先生のお叱りを受けているような気持ちになって身がすくむ思いだった。


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