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「無二的人間」 山本空外著186 [無二的人間]

P366よりつづき
釈尊のご入滅の際、阿難という弟子が、二十余年も釈尊の説教を聞いて、多聞第一というのに、未だ悟っていない、だから、これからどうしましょうか、と聞いたら、「自分自身が悟らなければならない」と答えられたという。これを「自燈明」と申します。これが東洋の思想なのです。
ところが、お坊さまは沢山おられるが、なかなか自分が悟ったという方に出会いません。ともかく自分が悟らないと駄目です。自分が悟れず、たとい出世して御殿のような家にすんでいても駄目です。
中身の尊さは、各々なりにさとれた心の宝のみです。
人間が人間になる。そのことは結局自分が自分になることです。
たといみかけがよくても、けっきょくごまかしか、まにあわせでしょう。男子は男子なりに、女子は女子として、また老人は青年ほど仕事ができないにしても、経験を生かして皆さんにお伝えすることもできます。



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