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「無二的人間」 山本空外著171 [無二的人間]

P350より
哲学的人間の中身は程度が悪くなり、いろいろな材料を間に合わせに取りあげて、話をしているのが、大学の哲学の教授であり、哲学的な思索そのものというのは、とてもプラトンの足もとにも及ぶ見込みはない。
そのことを世界的な哲学者の一人のヤスパース自身がいっています。
私がドイツでかれの家を訪ねた折、お土産に浮世絵をあげたのですが、次の機会に訪ねましたところ、その浮世絵をちゃんと書斎にかけて、とても喜んでいられました。
ヤスパースは、また、京都の有名な広隆寺にあります、弥勒菩薩半跏思惟像を見て、このような芸術作品は西洋の芸術には見られない、といっています。この人は実存哲学者ですから、エキジステンツそのものを、これ以上に描きだした芸術品に出会ったことは、未だかってないと感心しておりました。私のあげた浮世絵も喜んでいたし、日本の仏像にも感動した人です。

私の申したいのは、現代人は人間としても値打ちがないということです。
プラトンの足もとにも寄れないのですから、いつまでもプラトン、プラトンといっていなければなりません。
私はそういう教育は、二十世紀まででよかろうと思います。



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