「無二的人間」 山本空外著7 [無二的人間]
P4より続き
それで真実なるべきものが、かえって虚仮になるまでである。宗教界・実業界などなおさらである。
世間が虚仮というわけでもないので、同じ世間でも、釈尊は王位につこうとせず、一生乞食僧として終って、サトリを全うされ、その聞・信に感動して、真実を生きた諸弟子との間には、もとより真実の世間が生動したはずであり、法然上人もすでに十八歳にして隠梄し、かえって世間を真実にしていく一向念仏に徹する一生を全うされた。
迷う世間は「世間虚仮」といえても、世間で悟っていけるのでないと、釈尊・法然上人などの跡を追えないのではなかろうか。じっさい親鸞聖人・弁栄上人等、その跡を追うて、自己も悟り、世間を浄めえて、浄土の方向に前向きに開き、みのらしていられるのであられるから、こうした分野では、たしかに「唯物是信」といえるようである。
それで真実なるべきものが、かえって虚仮になるまでである。宗教界・実業界などなおさらである。
世間が虚仮というわけでもないので、同じ世間でも、釈尊は王位につこうとせず、一生乞食僧として終って、サトリを全うされ、その聞・信に感動して、真実を生きた諸弟子との間には、もとより真実の世間が生動したはずであり、法然上人もすでに十八歳にして隠梄し、かえって世間を真実にしていく一向念仏に徹する一生を全うされた。
迷う世間は「世間虚仮」といえても、世間で悟っていけるのでないと、釈尊・法然上人などの跡を追えないのではなかろうか。じっさい親鸞聖人・弁栄上人等、その跡を追うて、自己も悟り、世間を浄めえて、浄土の方向に前向きに開き、みのらしていられるのであられるから、こうした分野では、たしかに「唯物是信」といえるようである。
2012-06-16 07:18
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