民族のしるし6 [民族のしるし]
神社、特に神宮系の神社に行くと、この紋がよく見られます。
「十六八重菊」と言われる家紋で、皇室の家紋だと思われていますが、
このしるしが正式に皇室のものと制定されたのは、1869年(明治2年)だそうです。
なぜ、十六八重菊が皇室の家紋のようになったのか?
諸説あるようですが、幕末、このしるしを長州と薩摩が、錦の御旗に使いました。
錦の御旗を掲げることで、長州と薩摩は官軍となったのですが、
その当時、このしるしは皇室の正式な紋ではなかったようです(笑)
幕末に官軍のしるしとして使われた錦の御旗は、
薩摩の大久保利通、長州の品川弥二郎と岩倉具視の3人が
「十六八重菊」を使ったデザインのものを作りあげた。
錦の御旗の威力も手伝って明治政府が誕生したのち、このしるしを皇室の家紋にしたようです。
なぜ、このしるしを錦の御旗に使ったのか?
菊紋は鎌倉時代の初期、後鳥羽上皇が愛用してから、代々受け継がれてきたそうで、
後醍醐天皇も愛用品に菊紋を使っていたと言われています。
後醍醐天皇といえば、「南朝」
明治政府誕生の裏側を、「しるし」から見るのも面白いかもしれません。
2010-06-15 09:27
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