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「無二的人間」 山本空外著112 [無二的人間]

P180より続き
本題も、『維摩経』のうちから引用したが、その「維摩」は梵語の「ヴィマラ」の音写で、したがって維摩羅とも音写する。
「ヴィ」は「無」と訳せる接頭辞で、消滅を意味し、「マラ」は「垢」のことであるから、併せて「ヴィマラ」は、「無垢」、すなわち無垢・清浄を指す。
したがってその名の維摩居士は、現代でも要望される一番の人物といえる。
清浄無垢のひとが現在第一に求められているものの、あえて日本の現代にかぎらず、広く世界に、したがって昔のインドにも求められて、経名にさえなったのであろう。維摩居士は中インド毘耶離城の長者で、さとった菩薩といわれるが、おそらく般若皆空を説こうとして、架空の人物に託したようである。
いな、われわれ一人ひとりがそのようにならねば、人間としてのねうちに乏しいというのである。



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